「自分の感情のままに言葉を伝えるっていうことが大人になると難しい。感じたままに文章にすることが楽しいと思ってもらえる会になったのではないだろうか。」
コミュニティの運営者である、わたじろーさんが締めにくれた言葉です。
企画者の私としては、真意を理解してくれている言葉を伝えてもらえたことで、企画してよかったと自信になりました。
今回は、そんな読書会イベントのレポートをお届けします。
9/30日曜日。
まだまだ暑さは感じつつも涼しさが優ってきている秋の夜。
秋といえば、読書の秋!ライターン読書会が開催されました。
当日は下記内容にて、1時間半ほどのイベントに。
課題図書発表
『ごんぎつね』です!!
ドラムロールもなく、もったいぶることもなく、さらっと伝える。
参加者からは
わあ!なつかしい!
正直あんまり覚えていないな……
タイトルは覚えてる。
などと反応はさまざま。
しかし、幼少のとき、誰もが読んだであろう物語ではないだろうか。
イベントのなかでそれを読み、感想まで考え、そして書く。
なかなかハードルが高そうに感じるが、逆に、前もって読んできてもらうというよりはハードルは低いのではないかと思っていた。
本を読むことは好きでも、その時間を取ることがどうしても難しい人が一定数はいる。その場で10分以内で読めて、読んだ内容を咀嚼し自分の言葉で表現するにはちょうどいい物語が用意できたと思っている。
もくもく読書
WEB上に公開されている『ごんぎつね』のページを共有し、BGMをかけ、ひたすらだんまりなもくもく読書に突入。
ちなみに、もくもく読書とは、言葉のまんまで「黙々と読書をする時間」を指す。
普段、ライターンでは朝・夜など、指定した時間にみんなで集まって「黙々と」それぞれがやりたいことをやるのが定番化している「もくもく会」なるものがある。
ライターコミュニティなだけに、執筆活動をする人もいれば、朝はそれぞれの出かける準備などを行う人もいるという。
25分や50分、もくもくと作業をし、10分休憩を挟み、チャットしたり雑談したり。
それが「もくもく会」。
その番外編ということで、今回は『もくもく読書会』と銘打ったわけです。
企画段階で私が初めて読んだときは8分半ほど時間を要した。
そして、自分の感覚ではあるが、1回読んだだけではなかなか感想は生まれないと思っていたので、2回は読める時間を確保。
何度か読んでいた私は、この沈黙の時間に、時間配分が多すぎたかな?!ホントに何も喋っていなくていいのかな……
と、BGMがかかっているとはいえ慣れないこの無言の空間にそわそわしていた。
そうこうしている間に読書時間は終了。
感想がふくらみすぎて、時間切れでした
9分くらいかかってしまいました!
2回くらい読めました
などなど、心配していた読書時間は恐らく反応からして問題なかったようでホッとする。
感想が膨らめば膨らむほど、確かに時間もかかるのでちょうどいい時間設定だったと自画自賛。
読んだ感想を言語化
ちなみに、今回のイベントではその場で書いてもらいたい!という意図があり、ワークシートを導入。
ワークシートは運営のじんみさんが制作してくれ、ライターンのなかに、視覚的な彩りが増していっているように感じます。
条件は、『100文字以上!!あとは自由に!』とだけ伝え、感想をしたためる時間を取ります。
条件……。
あとから思い出したのは、今回の企画は『爆弾形容詞』を回避して言語化すること。
ちなみに、『爆弾形容詞』とは、「楽しい」「嬉しい」など、簡単によく使われる形容詞を指します。
それらの形容詞を回避して、いかに自分らしい表現でその形容詞を代弁できるか、なのですが……、私はまったくそのことを伝えるのを忘れており、イベント終了後にふと思い出すのでした。
しかし、運営じんみさんがこのワークシートを作ってくれたおかげで、実は『爆弾形容詞』は、最初の質問「読み終わったあと、どう思った?」でめちゃくちゃ回収してくれているのです。
たった一言でそれを伝えようとすれば、それは「悲しかった」「やるせなかった」と、爆弾形容詞的なものとなり、そして、次の「なんでそう思った?」という質問からその理由を書きだすので、知らず知らずのうちに爆弾形容詞ではない表現で書き進める効果が見られていたのではないかと思っています。
とてもブラボーなワークシートです!
各自感想の発表
それぞれが、それぞれの言葉で感想を伝えてくれました。
まとめる必要ないじゃんと思うかもしれませんが、今回は参加した7名の感想をちょっとずつまとめて、ひとつの感想文として加筆したものをこちらに残しておこうと思います。
結局『爆弾形容詞』は使うことになってしまうのですが、そのリベンジもかねてまた読書会開催できるように、感じたことを言葉にする力を磨きたいと思います。
思い込みが激しいのは、ごんなのかそれとも兵十なのか。
いたずらばかりのごんが、兵十に素直に謝れていたら、お互いひとりぼっちだから、仲良くなれたんじゃないだろうか。自分の想いをちゃんと伝えられない悲しさを感じた。
ごんは本当は優しい。
相手の立場を想像し、自分の行いを後悔したからこそ、償おうと必死だった。
罪悪感から贈り物を続けたごん。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
ごんは兵十の言葉を理解し頷いている。コミュニケーションがとれるのであれば、無言で贈り物を届けるのではなく、謝ることが出来たのではないだろうか。
そして、謝れていたら兵十もごんを撃ったりはしなかったのではないだろうか。
お互いに思い込みだけで相手を判断していたのは寂しい。
そして、その誤解が解けないまま物語が終わったこともまた複雑な気持ちにさせる。
思っていることの真意が伝わらなければ、意味がないのだ。
この感想には含めていないが、命よりも大事なものがあるよねという、子どもに伝えたいメッセージがここにはあったのではないかという、運営わたじろーさんの考察寄りの感想もまた面白かったです。
ひとりぼっちの子ぎつねは、この物語が書かれた昭和7年当時、第一次世界大戦後でひとりぼっちでいる愛情不足の戦争孤児たちとリンクしているお話しなのではないだろうか、と。
着眼点が深すぎて、
レベルの違いをここで見せつけられる
伝えたいメッセージが何なのかわからなかったので考察参考になります
いつ書かれたか物語か、という点でも捉え方変わってきますね
などと感想が飛び交う。
こんな風に聞いていると、『ごんぎつね』どんな話だったか気になったりもしますよね。
今回イベントにて使わせて頂いたのは、青空文庫さんに掲載されたものです。
青空文庫さんは「人の思いや考えに、より多くの人が、より自由にふれられるようにと願い」、ボランティアの方々によって開かれたサイトです。
ネット版の図書館ともいえる、温かな場所にて読むことが出来るので、『ごんぎつね』がどんな話だったか気になる方はこちらからどうぞ。
まとめ
書きたいことを書き、感じたことを伝える。
ひとつの物語から幅が広がり、深みが出る。
視点や考察などがバラバラで、共通点や違い、そして言語化された表現はどれも面白い。
ひとりひとり違っていてそれで良いはずです。
ライターンの読書会では、そういった小さな気付きが参加者それぞれに産まれたのではないかと感じています。
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